本文へスキップ
Balkan eSIM

1984年サラエボ五輪の跡地を歩く - ボブスレー・コースと会場の今

読了 1 分 執筆: Balkan eSIM Team
esim balkan bosnia sarajevo olympics
1984年サラエボ五輪の跡地を歩く - ボブスレー・コースと会場の今

初回eSIMが15%オフ|コードWELCOMEeSIMを購入 →

**1984年2月の冬季オリンピック会場は、サラエボ市内と周囲の山に今も残っている。**なかでも訪ねる人が多いのはトレベヴィッチ山のボブスレー・リュージュ・コースで、コンクリートの樋が森の斜面を蛇行し、全面が落書きに覆われた状態で歩ける。整備された観光施設ではなく、放置された構造物を見に行くという性格の場所だ。

1984年に何が行われたか

第14回冬季オリンピックは1984年2月にサラエボで開かれた。社会主義国で開かれた最初の冬季五輪であり、当時のユーゴスラビアで開催された唯一の五輪でもある。オオカミのマスコット、ヴチコと合わせて記憶している人も多い。アルペン競技は市の南のヤホリナとビエラシニツァ、ジャンプはイグマン、氷上競技は市内のゼトラ屋内競技場が担い、開閉会式はコシェヴォのスタジアムで行われた。氷上ではイギリスのトービルとディーンがアイスダンスで金メダルを獲得し、この大会の象徴的な場面として語り継がれている。

会場が経験したもうひとつの歴史

1990年代の戦争で、これらの山は市街を見下ろす前線になった。ボブスレー・コースは砲撃と銃撃の痕を残し、ゼトラも大きな被害を受けて後に再建された。戦時中は施設が本来の用途を失い、建材や木材が生活のために使われたとも伝えられている。つまりここを訪ねることは、五輪史をたどると同時に、その十年後に起きたことを見ることでもある。同じ滞在でトンネル博物館まで回る人が多いのは、その二つが地続きだからだ。

会場1984年の役割今の様子
トレベヴィッチ山ボブスレー・リュージュ放置され落書きに覆われる
ゼトラ氷上競技再建され現役の施設
イグマンジャンプ台構造物が残る
ヤホリナアルペン競技スキー場として稼働
コシェヴォ開閉会式市内のスタジアムとして使用

コースを歩くときの現実

コースは上部と下部で状態が違い、崩れかけた縁や鉄筋の露出した箇所がある。樋の内側を歩く人は多いが、足元は落ち葉と苔で滑る。加えて、この地域の山間部には戦後の不発弾や地雷が残る区域があり、警告表示のある場所や踏み跡のない斜面には立ち入らない、というのが現地で共有されている基本だ。舗装された道と、明らかに人が歩いている経路から外れないこと。管理人も柵もない場所なので、判断はすべて自分に返ってくる。

冬に行くか、夏に行くか

ヤホリナとビエラシニツァは今もスキー場として動いており、冬は五輪会場の見学というより普通のスキー旅行になる。山道が雪と氷で覆われるため、トレベヴィッチのコースを歩く目的なら雪のない季節のほうが素直だ。どちらを選ぶかで持ち物も靴も変わるので、先に決めておきたい。

行き方と通信の注意

トレベヴィッチへはケーブルカーで上がるのが一般的だが、運行時間や運休は季節で変わるため、運営者の公式案内で当日分を確認してほしい。山側は道標が少なく、現在地の把握を地図アプリに頼ることになる。ここで重要なのが、ボスニア・ヘルツェゴビナは当サービスの地域プランの対象国ではないという点だ。対象はクロアチアやセルビアなど七カ国で、ボスニア分は別に用意する必要がある。対象国の範囲は料金ページで確認できる。

まとめ

会場は観光地として整えられておらず、案内板も入口も期待できない。だからこそ、行き方と通信だけは出発前に固めておく価値がある。サラエボと同じ旅程でモスタルまで足を延ばすなら、国境をまたぐ区間の準備はこちらの記事にまとめてある。

関連記事

すべて見る
初回限定オファー

初めてのeSIMが15%オフ

バルカンのルート全体をカバーする1つのプランを選び、購入時に下のコードを入力してください。お支払い前に、初回プランから15%が差し引かれます。

プロモコード
WELCOME

お支払い画面でコードWELCOMEを入力 — このサイトでそのままご利用いただけます。