モスタルに残る弾痕を読む - 橋の写真の先にあるもの
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**モスタルの弾痕は展示物ではなく、いまも人が暮らす建物の壁に残っている。**旧市街の橋から少し歩くだけで、無数の穴が開いたままの外壁や、修復された部分と焼けた部分が継ぎ接ぎになった建物に行き当たる。1992年から1995年の戦争と、その後の三十年の復興が同じ通りに並んで見える街だ。
どういう戦争だったのか
ユーゴスラビアの解体に伴い、ボスニア・ヘルツェゴビナでは1992年から1995年まで戦闘が続いた。モスタルはその過程で市街そのものが前線になり、ネレトヴァ川に沿って東西が分断された時期がある。誰が誰と、という説明はこの街では今も一様ではなく、旅行者が短い滞在で断定できることではない。分かるのは、被害が住宅と生活の場に集中したという事実のほうだ。
街のどこに痕が残るか
分かりやすいのは、旧市街の西側を南北に走る大通りの一帯だ。ここが分断線に近く、廃墟のまま残る大きな建物や、外壁一面に痕のある集合住宅が並ぶ。墓地に刻まれた没年が同じ数年に集中しているのも、この街の年表を静かに示している。廃墟に見える建物にも所有者があり、内部は床や階段が失われている場合がある。入らないことが前提だ。
| 見えるもの | 何を示すか | 見るときの姿勢 |
|---|---|---|
| 点状の小さな穴 | 銃撃の痕 | 住居であることを忘れない |
| えぐれた大きな欠け | 砲撃の痕 | 近づきすぎない |
| 新旧まだらな外壁 | 修復の順番 | 撮影は住民を避けて |
| 同じ年に集中した墓標 | 被害の時期 | 墓地では静かに |
東岸と西岸で街の顔が変わる
川の東側にはオスマン期からの旧市街が残り、石畳と工房、モスクの尖塔が並ぶ。西側は近代以降に広がった街区で、建物の様式も通りの幅も違う。戦後、行政や公共サービスの一部が二重に残っていることは現地でも報じられてきた話で、街を歩くと、同じ都市の中に二つの日常があるように感じられる場面がある。旅行者はそこに立ち入って評価する立場にないが、知らずに歩くのと知って歩くのとでは、見えるものが変わる。
古い橋が壊れ、また架かるまで
十六世紀からの石橋スタリ・モストは1993年に破壊され、国際的な支援のもとで再建されて2004年に再び開通した。2005年には旧市街とともに世界遺産に登録されている。橋のたもとにある「93年を忘れるな」と刻まれた石は、観光の中心にあえて置かれた記憶装置だ。橋から川面への飛び込みは地元の訓練を受けたダイバーによる伝統で、旅行者が真似るものではない。
いつ歩くと見えやすいか
夏の日中は石畳の照り返しが強く、写真も白く飛びやすい。日帰りのバスが去った夕方以降は旧市街の人が減り、壁の凹凸に影がついて痕がはっきり見えるようになる。橋を上から見る構図としては、コスキ・メフメット・パシャ・モスクの尖塔から見下ろす形が知られている。歩く順番としては、旧市街を先に見て、その後に大通り側へ出ると、街の時間の流れをたどりやすい。
通信について一点だけ
ボスニア・ヘルツェゴビナは当サービスの地域プランの対象国ではない。クロアチア側を拠点にモスタルへ日帰りする行程が多いため、この線引きは事前に知っておきたい。対象国は料金ページに、国境をまたぐ日の準備はプリトヴィツェとモスタルの記事にまとめてある。
まとめ
橋の写真を撮って帰るだけでも旅は成立する。ただ、壁を読めるようになると、同じ街がまったく違って見える。クロアチア沿岸を車やバスで移動するなら、ボスニア領を横切るネウムの回廊も同じ地図の上の話だ。
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